悦山人の”モノ”がたり

この国のカタチとスガタを見つめてカナタのコトバにたどり着く

どうやら雑念だね-011

 

 

どうやら雑念だね-011

(押入れから出てきたメモ書きに思う)

 

 

酷い寒さを堪えるために書き捨てることにした-その②

奥行きのところに隠れた次元が眠っている

山合いの連なりがあり

川合いが流れて過ぎていく

つまりは不気味な谷間の構図である

一定量の感覚と知覚が漂っている

スレッシュホールド(閾値と臨界値)に気づく

それは奥行きが道行きになることだった

道の奥行きは何らかの継続を意味した

ひょっとすると

永遠を願う来し方行く末に対する憧憬かな

いやいやどうして

黄昏(たそがれ)に導かれる大禍時(おおまがどき)である

道端には道祖神があって塞ノ神が宿る

そして虫送りの仕業が見えてきて

今も疫病の苦しみが続く

どうにもならない

道行きはタオイズム(道教)の訪れと結びついたのか

それはもっといえば

サナギ(蛹・鐸)のタマフリ(孵化・魂振)でヨウゴウ(夢虫・影向)の兆し

道の奥はつねに神籬(ひもろぎ)で満ちあふれている

 

 

(奥神座:おとずれどき)

 

 

 

注意事項:本ブログの記事について→→ 記事の文末の追記項目のリンク先に関して2025年9月以前の記事のものはサイドバーの検索欄にてリンク先を入力して行ってください